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福岡高等裁判所 昭和47年(う)544号 判決 1977年3月08日

被告人 柿添忍

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人安倍治夫が差し出した控訴趣意書、同補充書(一)、(二)、弁護人山下誠、同森竹彦が連名で差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官柴田和徹が差し出した答弁書に記載されたとおりであるから、いずれも引用し、これに対し、次のとおり判断する。

本件公訴事実は、

「被告人は高速モーターボート運転の業務に従事中昭和四十三年七月二十一日午後七時二十分頃平戸市川内町千里ヶ浜海水浴場沖合約五〇〇メートルの海上において自己所有にかかる高速モーターボート(長さ五・五メートル、一・二五トン、一五〇馬力、最高速度三、八〇〇廻転、時速五五キロメートル乃至六〇キロメートルを操縦し水上スキーヤーを曳いて発進するにあたり当時右モーターボートの左舷側沖合約一〇メートルのところに被害者坂上秀之(当二十年)外二名がこれを見物するため遊覧用貸ボートに同乗し、モーターボートとほぼ並行し同一方向に向け停止していたので斯様な場合は事故を未然に防止するため舵を中央にしハンドルを正常に保持し一応微速で発進して安全な位置まで直進したのち高速に移るべき業務上の注意義務を怠り微速六〇〇廻転(時速約三キロメートル)で約一五・五メートル乃至二〇メートルばかり前進したところで舵が若干取り舵(左向き)になつているのに気附かず且つハンドルを正常に保持しないで漫然レバーを前進全速に入れたためモーターボートを左に急旋回させたばかりでなくこの時においても直ちにレバーを中立に入れて停止すべきであつたのに周章狼狽の余り著しくレバーを中立に入れ遅れそのまま逆に前記貸ボートの方向に向つて高速度で進行させた過失によりモーターボートの船首右舷側船底を貸ボートの船首及び同ボートの船首に後向きに乗つていた寺田一郎(当三十一年)の右肩附近に衝突させた上衝突直前危険を感じて同ボートの右舷側海中に飛び込んだ前記坂上秀之の背部を乗り切つてスクリユーで巻き込みよつて同人を頭部背部切創脳損傷により即死させたものである」というのであり、

これに対し、原判決が認定した犯罪事実は

「被告人は、モーターボート(グラスフアイバー製、長さ五・五メートル、幅二・二六メートル、六気筒四サイクル内燃機関一五〇馬力、最高回転数四、五〇〇回転、ただし組立の際三、五〇〇回転に調整、推進器は三翼のスクリユーで、左回転、舵は推進軸カバー部分)を所有し、平常の離島などへの往診のため、あるいは休日の遊技のためこれを運転する業務に従事していたものである。ところが、昭和四三年七月二一日午後七時二〇分ころ、平戸市川内町千里ヶ浜海水浴場沖合約五〇〇メートルの海上において、長男柿添圭嗣がスキーヤーとなり、被告人がモーターボートを操縦し、スキーヤーを曳いて水上スキーを始めようとしていたところ、坂上秀之(当時二〇年)他二名が水上スキーを見物するため、前記海水浴場から遊技用の手こぎ貸ボートに同乗し、モーターボートの左側(沖合側)約一〇メートルのところに来て、同一方向に向けて並行するように停止し、水上スキーの発進を待つていた。被告人は、モーターボート中央左側の操縦席に立つて、スキーヤーの柿添圭嗣が船尾から約四メートル位後方の海中に入つてスキーを両足につけ、右舷の船尾に近いところのフツク(引つ掛け金具)に縛りつけたロープの先端の棒を持つて発進の用意ができるのを待ち、発進準備の完了の合図を聞いて、右手で舵取ハンドルを握り、左手で、操縦席の左舷外板内側に装置された変速レバー(レバーを中央に垂直にたてた位置が中立―ニユートラルとなり、推進器軸と絶縁する。)を握り、微速(エンジンの毎分回転数六〇〇回転位)で約二〇メートル位進行し、そこで前記スキー用ロープが緊張したのであるが、スキーヤーを浮上させるためには、一気に速度をあげて、高速(回転数二、五〇〇から二、八〇〇位)で進行する必要があるので、被告人は、変速レバーを前に倒して前進全速の位置に入れたところ、モーターボートは速度をあげて約一〇メートル位直進し、それから左に急旋回を始めたので、被告人は、ハンドルをやや右に切つたが、モーターボートは、一八〇度余り回転して、前記の坂上らが乗船している貸ボートが停止していた方向に向つて、かなりの速度で進行しつつあつた。しかし、このような場合でも、前記変速レバーを中立に入れれば、右モーターボートは長くても一五メートルぐらいの距離で停止することができるのであるから、被告人としては、モーターボートが前記貸ボートに衝突するなどして、同ボートに乗船している者および衝突の危険を感じてこれから逃れようとして海中に飛び込んでいる者らとの衝突による事故の発生を未然に防止するため、直ちに変速レバーを中立に入れてモーターボートを停止させるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、モーターボートが急旋回を始めたのに心を奪われて、周章狼狽し、なんら適切な手段を講ずることなく進行させ、右貸ボートの間近に接近してはじめて変速レバーを中立に入れたが時すでに遅く、そのまま可成りの速度でモーターボートを進行させ、モーターボートの船首部右舷船底付近を貸ボートの船首に衝突させたうえ、右衝突直前にその危険を感じてこれから逃れるため、貸ボートの右舷側から海中にとび込んで泳いでいた前記坂上に気づかず、後方から頭上を航走し、急速に回転しているスクリユーによつて、同人の背部、頭部を巻き切り、よつて同人に対し頭蓋骨骨折欠損および陥没、脳実質欠損等の傷害を負わせて即死させたものである。」

というのである。

(下段の数字は原判決の行数を示す。)

一  憲法違反

弁護人安倍治夫の控訴趣意中憲法違反をいう点は、要するに、被告人の司法警察員に対する昭和四三年七月二七日付供述調書および同人の検察官に対する同年一二月三日付供述調書は、いずれも不当な強制にもとづく自白を内容とするものであつて、憲法三八条一項に違反して作成されたものであり、これを犯罪事実認定の資料に供した原判決は、同条二項に違反するものであり、また右各供述調書は、任意性のないもので、刑訴法三二二条に違反するばかりでなく、憲法三一条の保障する法定手続に違反し、さらに、原判決における有罪認定の基礎となつた柿添艇の航行性能に関する鑑定および原審の検証の手続は、その本質的内容において公正を欠くもので、憲法三一条に違反する、というのである。

しかし、被告人の司法警察員海上保安官鴨川年雪に対する昭和四三年七月二七日付供述調書および同じく検察官三浦六三郎に対する同年一二月三日付各供述調書は、いずれも被告人に不利益な供述を内容とするものであるが、記録から窺われる捜査の進展状況や経過から推して、いずれも不当な偏見や害意をもつて、誘導、誤導、理詰め等不当な取り調べを行なつたものと認めることはできず、また強制、拷問、脅迫等により自白を強要したものとも認め難いので、憲法三八条一項に違反して行なわれた取り調べに基づく自白ということはできない。従つて、また、原判決が、右各供述調書を有罪の認定の資料としたことについても、同条二項に違反して、強制、拷問若しくは脅迫による自白を証拠としたということはできない。

また右各供述調書における被告人の供述には、十分に任意性のあることを肯認し得るので、これを有罪を認定する採証の用に供しても、刑訴法三二二条に違反するということはできず、憲法三一条の保障する法定(適正)手続の違背となるものでもない。

原判決において、有罪認定の証拠中に、被告人が本件当時使用したモーターボート(柿添艇)の航行性能を鑑定した山川鑑定書および原審検証調書が含まれているが、これらの手続は、いずれも適法かつ公正に行なわれたものである。すなわち、昭和四四年七月一六日金島敏雄が柿添艇の操舵装置のうち支持金具の固定装置に狭みものを追加するなどして、これを増強した跡が窺われるが、山川鑑定にあつては、鑑定人がその点を指摘したうえ、本件当時の状況に引きなおして鑑定しており、また原審の検証については、検証実施直前に右増強部分のベニヤ合板を業者に命じて取り除かせたうえ、検証における運転実験を実施しているので、いずれも細心の注意と、公正を保つ上に十分な配慮が払われているので、右鑑定ならびに検証はともに、いずれも適法かつ公正に行なわれたものであることが認められ、憲法三一条の保障する適正手続に悖るところはない。

所論は理由がなく、採用し難い。

二  事実誤認

弁護人安倍治夫の控訴趣意中、事実誤認をいう点は、要するに、被告人は、柿添艇が左へ旋回を始めたので、一瞬たじろいたが、冷静に舵を面舵にとり、次の瞬間には、遅滞なく変速レバーを中立にしたのであつて、運転操作に注意義務違反はない。

柿添艇の左旋回状況は、逆P字形qのごとき移動旋回を行つたもので、原判決の認定するごとき、一八〇度反転したユーターン現象ではない。

柿添艇が、その船首部を屹立(立ち上り状態に)して、左に旋回を始めたときは、被告人の前方に対する視界は、船首にさえぎられていたので、進路の海上に浮上する物体を発見することは不可能であり、海中に没して遊泳中の被害者をスクリユーで接触することを予見することは不可能である。本件事故は、一瞬の間の出来ごとであり、柿添艇の屹立急旋回は、不可抗力によるもので、被告人の面舵、変速レバー操作には全く落ち度はなく、被告人に対する非難可能性はない。

柿添艇は、操舵系における操舵ワイヤーの外被末端を舵柄手前で支持固定するための金具の形式と外板への取付方法が不適当であつて、この欠陥が、柿添艇をして急旋回に至らしめたのであつて、被告人に過失はない。

本件事故は、被害者自らが柿添艇に不必要に接近してその進路に侵入し、これにより招来されたいわゆる危険の引き受けにほかならないのであつて、事故による非難は、専ら被害者自らが負担すべきものであつて、被告人の責めに帰せられるべきものではない。

原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がある。というのであり、

弁護人山下誠、同森竹彦の控訴趣意は、要するに、柿添艇の左急旋回は、被告人にとつて全く回避不可能なものであり、何人によつても予測し得る可能性のなかつたものである。坂上らを乗せていた貸ボートは、柿添艇が微速前進するのに併行して、前進し、かなりの距離を移動していたのである。柿添艇が、左急旋回して船体を当初と全く逆の方向に向けていたころ、貸ボートは、柿添艇の進路直前にあつたものであり、しかも、被告人は艇の左旋回開始と殆んど同時に変速レバーを中立に入れたのであり、柿添艇の左急旋回時の立ち上りは、約九度と大きく、貸ボートの発見は不可能であつたし、人身傷害の結果の予見可能性もなかつたのであるから、結果回避の可能性は全くなかつたのである。

これらの諸点について、原判決には重大な事実誤認がある。というのである。

そこで、記録ならびに証拠および当審における事実取り調べの結果に基づき検討する。(従つて、以下においては、原則として関係証拠の標目は掲げない。その標目を掲げるものは、特に注意を要する事実について、重要と思料したものに限る。)

原判決摘示事実のうち一行目から二九行目までの認定事実に格別問題とするところはない。

原判決の事実摘示から省かれている事実のうち、次にかかげる事実は、証拠の価値判断ならびに事実認定に重要な影響を及ぼすものと考えられる。すなわち、被告人が、本件当時水上スキーに使用したスキーヤーの牽引ロープは、全長二四メートルのものであり、水上スキーヤー柿添圭嗣は昭和二七年二月一八日生れ、当時一六年で、高校二年生、体重七五キログラム位、救命胴衣を着用していた。モーターボート(以下柿添艇または単に艇と称する)には、被告人のほか、田中一誠(当時一六年高校生)、久家栄(当時一七年高校生)、柿添博史(当時一一年小学生)、柿添三郎(当時一〇年小学生)、中瀬恭憲(当時二五年)、吉原良介(当時二七年)が同乗し、水上スキーを行つた本件当時ころの各乗船者の位置は、被告人が柿添艇のほぼ中央より若干後部よりの左側にある運転席に、柿添三郎は船室内に、吉原良介は運転席右側の助手席に、中瀬恭憲は船首左側に、田中一誠は船首右側に、柿添博史も船首付近にそれぞれ位置し、久家栄は船尾に位置してスキーヤーとロープの状況を見守つていた。貸ボートには、坂上秀之(当時二〇年)、野口征一(当時二四年)、寺田一郎(当時三一年)が同乗していたのであり、さらに、貸ボートは、当初柿添艇の左舷より約一〇メートル位沖合に並列状態にあつたが、柿添艇が微速前進するや、貸ボートも同じ方向に移動し、柿添艇が前進全速に移つたころには、柿添艇と並列状態よりやや先行するような位置にあつたものと考えられる。

しかして、原判決摘示事実のうち、三〇行目以下四九行目までの認定事実には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるものといわねばならない。所論にかんがみ、検討した結果を以下に摘記することとする。

原判決が摘示するごとく、柿添艇は微速前進(スクリユーの回転数一分間に約六〇〇回転)によつて約二〇メートル程直進し、水上スキーヤーを牽引するロープが緊張したのを見届けた久家栄が、「いいです」と発進よしの合図をしたので、被告人は、変速レバーを一気に前進全速に入れ、柿添艇は急速に速力を上げ、船首を立ち上り状態にして約一〇メートル程直進したが、急に船体を左に傾け、左急旋回を始めた。

被告人は、突然の船体の傾きにより一瞬姿勢を崩し平衡を失つたが、舵輪(ステアリングホイル)を握つていた右手は離さず直ちに正常な姿勢に戻つたものの、予期しなかつた艇の進行状況の変化に驚き、一瞬進路の方向を見失つていた。その間も艇は船首を立ち上り状態にしたまま左急旋回を続け、恰も半径六ないし七メートル位のほぼ円形に近い弧を描くように旋回していた。被告人は、艇の左斜前方に貸ボートを認め、漸やく方向感を取り戻し、艇の旋回方向に気づくとともに、貸ボートとの衝突の危険をとつさに覚つて、その危険を避けるべく、急拠舵輪を右(面舵)に回して進路を右に変えようとするとともに、透かさず左手で変速レバーを中立に入れたところ、艇は間もなく立ち上り状態になつていた船首を落し、船体を左に傾けたまま、速度を落し始めた直後ころ、貸ボートの船首部に、艇の右舷船底側面を接触させ、さらに速度を落しながら、なおも旋回状態をゆるやかに続けた後漸やく静止したが、艇が、微速前進を始めてから静止するまでの航跡は、恰もPの文字を逆にした形に似た線上を矢印の方向に移動して行つたものと考えられる。

その間、貸ボートに乗つていた坂上ら三人は、未だ艇が貸ボートと接触する以前の、艇が立ち上り状態のまま左旋回を続けながら貸ボートに迫つて来る様子に驚いて、坂上は貸ボートの右側の海中に、次いで野口は貸ボートの左側の海中に飛び込んで難を避けようとしたところ、艇は、前記のごとく貸ボートと接触し、その後もスクリユーはなお惰性回転から連れ回り状態へと移行しながらも転回(旋回状況)を続けているとき、艇は坂上の身体の上を通過しながら、スクリユーで同人の背面、顔面、頭部に接触し(いずれの部分が先に接触したかは不明)、右側頭部開放性骨折、両眼球欠損、背部割創、一部開放性肋骨骨折の傷害を負わせ、脳障害のため即死(推定)させたことが認められる。右認定のごとく、坂上が貸ボートの右側の海中に飛び込んだ状況は明確に認定し得るところであるが、その後同人が、海上または海中のどの位置に居つたかの点については、或限られた狭い範囲であることは窺えるけれども、これを空間的に一点の位置にまで凝縮し得る程に、微細に明確になし得る証拠はなく、また成傷時における同人の姿勢および艇のスクリユーの惰性回転か或は連れ回り状態であるかの点については、当審における鑑定人石田哲郎の鑑定結果によつても、明確にすることはできないところである。

艇が、急激な左旋回を始めてから、被告人が変速レバーを中立に入れたまでのおおよその経過時間と、その間の艇の移動状況を考察してみると、原審および当審における証人柿添圭嗣、同久家栄、同田中一誠、同寺田一郎の各供述、柿添圭嗣の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、同人の原審および当審公判廷における各供述を総合すると、艇が前進全速の態勢に入つて、急速に速度を上げ、約一〇メートル位直進したころまでに、スキーヤー柿添圭嗣は膝の下付近まで浮上していたが、艇が左急旋回を始めたのと殆んど同時にロープが弛んだため、海中に沈み、再び顔を水面上に出したとき、艇は貸ボートの真近かに迫つており、同時に貸ボートの乗員が海中に一人飛び込んだ水しぶきの上つた状況を目撃しているので、柿添圭嗣が海中に沈んで顔を水面に出すまでに要した時間は、恐らく三秒位の内外を多く出でない位の極く短い時間であり、かつ同人が艇や貸ボートを認知するまでに要する時間は一秒足らずの時間であつただろうと推測され、さらに貸ボートと旋回しながら刻々移動する艇との関係位置を考察することとするが、特に柿添圭嗣が目撃した状況を中心に、右の各関係証拠を総合して考えると、艇は前記のごとく、Pの文字を逆にしたような形に似た線上を矢印の方向に旋回移動して行つたのであるから、艇が貸ボートと接触した位置は、弧の部分の線上の位置であつて、これを時計の指針の指示位置を借りて説明すれば、ほぼ九時と八時の中間で、むしろ八時の方に近い位置であつたであろうと推測されるのは、これらの経過時間や、艇と貸ボートの接触位置、さらに前記のごとく、艇は貸ボートと接触する直前ごろに船首の立ち上り状態から船首を落すと共に、速力も落しつつあつた状況や、変速レバーを中立に入れても、クラッチの中立状態ならびに前進になつていたギヤーの噛み合わせが完全に離脱するまでには、なお若干の短い時間を要することなどを総合して考えると、艇が左急旋回を始めてから被告人が舵輪を右に回すまでの空白時間はおおよそのところで約三秒内外、同じく、艇が左急旋回を始めてから被告人が変速レバーを中立に入れるまでの空白時間は、おおよそのところで、約三秒あまりないし約四秒位を経過していたものと推測され、これらの時間や、艇の関係位置、前記のごとき弧のほぼの半径等を総合して考慮すると、艇が左急旋回を始めて、変速レバーが中立に入り、クラツチが完全に中立状態となり、前進になつていたギヤーの噛み合わせが完全に離れるまでの艇のおおよその速度は、恐らく一八キロメートル毎時ないし二〇キロメートル毎時(一一ノツトないし一二、五ノツト位)であつたであろうと推測される。被告人の司法警察員鴨川年雪および検察官に対する各供述調書中、艇が突然左に傾いたとき舵輪を握つていた右手を離した旨述べているところは、果して、右のごとく供述するところが真実であるならば、艇は既に左急旋回を始めていたのであり、推進機(スクリユー)と一体をなしていた舵は、同時に既にかなり取り舵の状態になつていたのであるから、スクリユーの回転によつて生ずる分力によつて、舵は急激にますます左(取り舵)に寄ろうとする力が働き、しかも舵輪は、その回転を妨げるものがなくなつて自由に回転し得る状態になつている以上、舵は取り舵いつぱいに、左舷三〇度の限界にまで達して、艇は極く短小の半径の円周上を回転するように、いわゆるきりもみ状態(このきりもみの状況は、原審における検証の際の実験状況を撮影した八ミリのフイルムに明確に表われている)となつて、左旋回をしていなければならなかつた筈であるのに、実際は、半径六ないし七メートル位のほぼ円形に近い弧を描くように左急旋回を続けていた状況に照らし、舵がますます左に寄ろうとするのを、舵輪を握つていた被告人の右手が舵輪の自由な回転を妨げていたものとみるのが、最も状況に適した観察であろうと思われるので、被告人の右各供述部分には、たやすく信を措くことはできない。

そこで、以上の事実を前提として、過失の有無について、検討を進める。被告人は、前記のごとく水上スキーを開始する直前、貸ボートに乗つた坂上ら三人が、艇の左方に貸ボートを寄せて、水上スキーを見物しようとしていたのに対し、注意を与えていた程で、その存在を十分に確認しており、艇が左急旋回を始めた直後ころ、艇の左斜前方に貸ボートの姿を認めており、艇が貸ボートの方向に赴くことを一瞬のうちに予知したが、その後、坂上等が海中に飛び込んだ状況は、立ち上り状態の船首に視界を遮ぎられて認知する由もなかつたが、かような被告人が認識していた状況を基礎としても、坂上らが艇の接近による衝突の危難を避けるため、貸ボート周辺の海中に飛び込むことは十分に予測し得る状況にあつたといい得るので、万一進行すべき航路内の海中に人が居たときは、スクリユーの接触による本件のごとき結果発生の危険は、これを予測するのに必ずしも困難であつたとはいい難く、結果発生の予見可能性を否定し得べき理由は見出し難い。

しかし、被告人が当時置かれていた環境的諸状況について、さらに精細に観察すると、被告人が左急旋回する艇のほぼ左斜前方に貸ボートを認めた位置は、前記のごとき艇の移動状況と貸ボートとの関係位置から考えて、前記q形の左半円部分の左上部付近、再び時計の指針の指示位置を借りて説明すれば、ほぼ一一時から一〇時の中間付近であつたろうと推測され、この位置における貸ボートの一瞬の目撃によつて、被告人は自己の位置を知ると同時に艇の旋回運動状況とその進行方向を察知し、さらに貸ボートとの衝突の危険を察知し得たが、次の瞬間には船首を立ち上り状態にして弧上を旋回する艇の移動に伴なう艇の方向の変化により、前部の視界を遮ぎられたため、貸ボートから坂上らが相次いで海中に飛込んだ状況は、視界の死角に入つた出来事で、被告人が目撃する由もなかつたのである。そうだとすると、被告人が、海中に逃れた坂上と柿添艇の接触を知り得べき状況にあつたといつても、その位置は現実に坂上が艇のスクリユーに接触された本件の結果の発生した海中の一点にのみ限定し得るものではなく、被告人が認識し、また認識し得べき状況を基礎とする限り、被告人が本件において発生した結果と同様の危険の発生を予測しなければならなかつたのは、貸ボートを中心として、その乗員が飛び込み得る全ての方向、すなわち貸ボート周辺一円の、一定の範囲の海面ならびに海中に及ぶものといわねばならない。このように考えると前記のごとく、被告人が、変速レバーを中立に入れ、クラツチが完全に中立状態となり、ギヤーの前進の噛み合わせが完全に離れ、これによりそれまで立ち上り状態を続けていた船首が落ちた直後ごろ艇と貸ボートが接触した経過にかんがみると、被告人が変速レバーを中立に入れ、クラツチが完全に中立状態になつたころにおける艇が航行していた位置は、貸ボートに極めて近いところまで接近していたと思われるので、たといその位置で変速レバーを後退に入れても、なお艇は数メートル前進した後に停止することとなるので、貸ボートとの接触は避け難い状況にあつたといわねばならないが、坂上が現実に居つた位置が、前記のごとく、貸ボート右側の或る限られた範囲の海上または海中であることは推測することはできるが、空間的に一点の位置に限定することは明確に推認することはできないだけに、坂上の身体に艇のスクリユーが到達する以前に、艇が停止し得る幾許かの可能性のあつたことは否定し得ないので、本件の結果の発生を回避することは、必ずしも不可能とはいい難いにしても、被告人の周囲の状況に対する認識を前提とする限り、貸ボートの周辺には、難を避けて海中に逃れた坂上ら貸ボートの乗員の居ることを予測しなければならなかつた被告人にとつて、自ら予知しなければならない危険を犯して変速レバーの操作を行なうこととなるので、かかる危険を敢えて犯す行為に出ることを期待し得るものではなく、被告人の認識し得た状況と、客観的状況とを総合するとき、被告人には、他に適法行為を選択し得る期待可能性はなかつたものといわねばならない。この点被告人が司法警察員鴨川年雪に対する供述中に、貸ボートに接触した際に、モーターボートの惰力を完全に止めていれば、事故の発生を未然に防止し得たのに、不注意からそのような措置をとらなかつた旨、恰も変速レバーを後退に入れ得る状況にあつたかのごとき供述をしている部分は、たやすく措信し難い。

かように、被告人に期待可能性を考察するのとは別個に、被害者坂上が自ら危険を犯して死の結果を招来したのであるから、危険の引受けの法理に照らし、被告人に非難可能性を転嫁するのは相当ではない、との所論について考えると、坂上らが柿添艇から約一〇メートル位離れた位置で、水上スキーを見物したことは、何人も自由に航行し得る海上での行為ないし態度であつて、そのこと自体を非難することはできない。またモーターボートは、一般的に言つて、十分に操縦技能を具えた者が正常に運転するときは、たとい水上スキーヤーを全速で牽引しても、本件の場合のごとく急激な旋回を行うことは、度々生起する事態ではないので、モーターボート一般についての機構上、性能上の専門的知識は勿論、柿添艇の推進、操舵装置の特性について何等の専門的知識を有しなかつた極一般的な普通人に過ぎないと思われる坂上らが、一般的経験的知識から、被告人らの行なう水上スキーを安全と信じて、もの珍らしさから若干柿添艇に接近し過ぎていたとして、これに幾分の非難を加え得べき可能性があつたとしても、当然予測し得た危険を犯して、その及ぶ範囲内に侵入し、自らをその危険の中に置いたものとして、その非難の一切をその者自身において負担しなければならないいわれはないものといわねばならない。

次ぎに、被告人が、舵輪を右に回し、変速レバーを中立に入れた措置が果して時機を失した不適切なものであつたか否かを検討すると、前記のごとく、艇が左急旋回を始めてから、被告人が貸ボートとの衝突を避けるため、右手で舵輪を右に回し、これに続いて左手で変速レバーを中立に入れたまでの空白時間は、ほぼ三秒内外またはほぼ四秒位であつたと推測されるが、この時間内における右の各措置は、被告人が予期しない急激な突然の船体の傾きによつて一旦は姿勢を崩しながらも、舵輪は右手から離さず、一瞬方向を見失つた被告人が、姿勢を正常になおすとともに、船首を立ち上り状態にして左急旋回を続ける艇の船首左斜前方に貸ボートを発見したまでの過程で、貸ボートの発見が遅れたとして非難を加えることはできない。被告人がボートを見て方向感をとり戻し、艇の進行方向を認知して、貸ボートとの衝突の危険を察知するまでの、危険に対して認知に要する生理的時間や、これを回避するために舵輪を右に転回するに要する反応時間や、作動時間、同様に変速レバーを中立に入れるために要する反応時間や作動時間等を考慮するときは、艇が左急旋回を始めたときから起算して、ほぼ三秒内外またはほぼ四秒位の時間は必要最小限度のものに極めて近いと考えて誤りのないものというべく、時機を失した操作として、これに非難を加えるのは相当とはいい難い。また目前の危険を察知して、これを至短時間内に回避する措置を講ずることは、本件の場合のごときは、殆んど条件反射に近い行動であつて、慎重熟慮の末に行なわれる行動ではないので、被告人が操舵を先にし、これに続いて変速レバーの操作を行なつたことに対し、措置の順序を誤つたとして非難を加えることは、高度の困難を強いるものと言つて過言ではなく、相当とはいい難い。

さらに、柿添艇が左急旋回を始めた時点に遡つて、左急旋回の原因が、果して被告人の操舵の不手際に基づくものであるか、或は艇の操舵装置の欠陥に基づくものであるか否かについて検討すると、司法警察員御厨初芳作成の実況見分調書、原審検証の結果、同検証の際に実験状況を撮影した八ミリフイルム五巻被告人の司法警察員鴨川年雪に対する供述調書(昭和四三年七月二七日付)、同検察官に対する供述調書を総合すると、柿添艇が左急旋回を始めたのは、恰も被告人の操舵の微調整の不手際に基づくものであるかのごとき印象を与えるが、司法警察員御厨初芳が実施した実況見分は、昭和四三年八月二六日であつて、本件発生後なお日も浅く、艇の諸状況は本件当時と大差のないものではあつたが、艇の乗員は、本件当時は前記のごとく被告人を入れて総員七名で、しかも体重七五キログラム位の水上スキーヤー柿添圭嗣を牽引、曳航したのに対し、実況見分時には乗員は、御厨初芳と被告人の二人だけで、しかも水上スキーヤーを牽引したのではなく、著しく条件を異にしているので、本件事故発生当時の状況再現力には程遠いものがあつて、右実況見分の際微速前進から一挙に変速レバーを前進全速に入れても舵輪を操作して微調整を行なえば、左急旋回を起すことがなかつた実験の結果を、そのまま本件を事故発生当時にも妥当するものとして、これに全幅の信頼を寄せることは相当とはいい難く、また原審検証の結果についても、本件当時は、操舵回りの装置のうち、ワイヤーケーブルポストの支持金具を、船尾外板の外からボルトを通して支持金具のネジ穴に捻じ込んで固定させるについて、積層グラスフアイバー入り強化プラスチツク成形板でできた外板の厚さが四ミリメートルであるのに、ボルトのネジ山のない部分が四三ミリメートルもあるので、本件当時これを固定させる方法として採られていた方法は、右のネジ山のない部分に直径三四ミリメートル、厚さ二ミリメートルのワツシヤ四枚と、厚さ九ミリメートルのベニヤ合板三枚が、交互に重ねられて、挾みものとして使用されていたが、昭和四四年七月一六日平戸海上保安署から柿添艇の点検を依頼された業者相馬勝美の使用人金島敏雄が、支持金具の取付部分を分解したうえ、挾みものにさらに、ベニヤの合板一枚を追加して重ね、その上からガラス繊維の布を当て、プラスチツクで押える補強工作を施したのを、原審検証の直前に、その追加したベニヤ合板を取り除いたとのことであるが、それでも本件当時と原審検証当時とでは、ワイヤーケーブルポストの支持金具の固定状況に格段の差が生じていたことが窺われるので、右検証の結果から、直接本件当時における操舵の安定状況を再現し得たものと認めるのは相当ではない。

しかるに、原審における鑑定人山川新二郎の鑑定の結果に、原審および当審証人山川新二郎の各供述、同人の当審における鑑定の結果原審証人相馬勝美の証言を総合すると、本件当時においては、ワイヤーケーブルポストの取付状況について、支持金具の固定方法が極めて不安定、不確実で、そのためワイヤーケーブルポストが左右に横揺れしていたことが推定され、その上、船尾のプラスチツク製外板の厚みが僅かに四ミリメートルの極めて薄いものであつたので、艇を微速前進から一挙に変速レバーを前進全速に入れた場合、操舵輪を正常に保持していても、支持金具(原審山川鑑定では、支持金具とも固定金具ともいう。)が、艇の進行方向に対して右横倒れを起すようになり、そのため舵柄(ステアリングメインバーまたはステアリングロツド)が右に移動して取り舵の状態となり得るので、これが艇の左急旋回を起す原因となり得る可能性が強く存在していたことが認められ、被告人の原審ならびに当審における供述と照らし合せても、右のごとき操舵回りにおける艇の外板の構造上ならびに装備(艤装)上の欠陥が、本件当時における柿添艇の左急旋回を生ぜしめたと見得る高度の可能性の存在したことを肯定しなければならないが、右の欠陥のほか被告人の操舵の不手際(変速レバーを前進全速に入れた後における操舵輪の若干の右回転(面舵)をこきざみに行う微調整等の不手際)が、重畳的に左急旋回の一半の原因をなしていたか否かについては、これを的確になし得る証拠に乏しく、果して起訴状記載の公訴事実のいうごとく、「被告人が……舵が若干取り舵になつていたのに気付かず、かつハンドル(操舵輪)を正常(正状)に保持しない」でいた操舵の不手際が、柿添艇の左急旋回の全的には勿論、一半の原因となっていたと断定するに足りる確実な証明はないものといわねばならない。

以上のごとく検討し来つた結果に照らすと、原判決が、摘示事実のうち、三〇行目から四九行目までにおいて、柿添艇の左急旋回の転回状況が一八〇度余りであつた旨、および被告人がハンドル(舵輪、ステアリングホイル)を右にきつた後…………事故の発生を未然に防止するため、直ちに変速レバーを中立に入れてモーターボートを停止させるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、モーターボートは急旋回を始めたのに心を奪われて、周章狼狽し、なんら適切な手段を講ずることなく進行させ、右貸ボートの間近に接近してはじめて変速レバーを中立に入れたが時すでに遅く、そのまま可成りの速度でモーターボートを進行させ、モーターボートの船首部右舷船底付近を貸ボートの船首に衝突させたうえ、右衝突直前にその危険を感じてこれから逃れるため、貸ボートの右舷側から海中にとび込んで泳いでいた前記坂上に気づかず、旨判示するところは、証拠の証明力ならびにその取捨選択を誤つた結果、重要な事実の判断を誤り、ひいて過失の存在を肯定し得ないのにもかかわらず、その存在を肯定した判断を示したことは、明かに判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるものというべく、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに自ら次のとおり判決する。

本件被告事件については、犯罪の証明がないので、同法三三六条により、無罪の言い渡しをなすべく、主文のように判決する。

(裁判官 藤原高志 真庭春夫 金澤英一)

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